駄菓子屋日記
駄菓子屋の日々
うちはカフェであるからお金をいただきます。
高いかどうかはわからないが、東京から来る人は、おおむね安いと言ってくれる人が多い。田舎の人は、特にファミレス以外に外で珈琲を飲まない人にはワンポット500円は高いようだ。でも二人で十分飲める量 なので、高いはずはないのだけど。
頭の切り替えだと思う。Jマートで必要なものを買うのにはあまり悩まないでどんどん買う。生活必需品だからという免罪符があるからだ。ついでに、うきうきしたいと言う理由から、必ずと言っていいほど、余計なものを買う。苗だったり、飾り物だったり、文房具だったり。旅行に出た時は、ある程度の出費を覚悟というか、出費したくて出ている人もいるが、くだらないものであってもドンドン買うし。
さて、うちの場合、喫茶店にきたという価値観でいうとケーキは高いとは思わない。280円と200円だけど、すべて、手作りで材料もしっかりしている。一旦駄 菓子コーナーに行くと、チョコレートのずっしりクッキーが30円である。当然10円や20円のチョコも多い。美味しいかと言われれば難しいが、珈琲のお供に悪くないものもたくさんある。(自分で作った卵ボーロも自慢なのですけど。)
でもその境目が楽しい。金銭観感覚的に頭の中でデノミネーションが必要なのだ。
店長としては、どこから来たゲストなのかという違いと駄菓子屋に来たのか喫茶店にきたのか??はたまた、雑貨屋にウインドウショッピングに物色に来ただけなのかという見きわめが必要だ。店は土足では入れないので、入らないで、帰ってしまう人もいる。そのあとでしばらく凹む。
駄 菓子屋は何となくはじめたという程度だから、最初は、ほんの少ししかなかった。ファミレスの会計横みたいなものだった。でも子供が喜ぶと、どんどん棚を増やし斉藤の本コーナーを脅かすようになった。独楽も増え、夏の夜遊びに光り物もある。駄 菓子屋として機能するようになった。最初は親と来た知り合いの子が、子供同士でも来るようになった。つまり子供が子供だけで来れることが浸透してきたのだ。
すると、またまた境目問題が生じた。ある程度子供が集まるとうるさいのだ。他の喫茶店として入ってきたゲストが迷惑するのではないかとはらはらものである。楽しんでいる風の人もいるが、そうでない人もいるのだ。その辺は子供達にも住み分け(叉は空気を読む)をお教えたいのだが、 なかなか叱れない。叱ってもどう説明すればいいのか難しい。
『うるさいから外に行きなさい!!!』と怒鳴ってしまった。
「下手こいたーー」と反省することしきりである。
子供らは、私をつい先生と呼び間違えるので、学校の休み時間的に思っているのか、もしくは南歩くんちに遊びに来た的な感覚もまだある。保育園時代遠足にうちに来た思い出のある子もたくさんいる。
最初の頃、子供らも駄菓子屋という店の理解ができなくて、自分で欲しいものを自分のお金で買うんだと言うことを理解していないようだった。この辺には、コンビニかスーパーしかないので、欲しいものはレジでお母さんがお金を払ってくれるものだと思っている。
あっちもこんな店はじめて見たし、こっちも駄 菓子屋なんてはじめてである。こっちも今までのように、家でおやつを出してあげるのとの違いを配慮 するのに大変だった。でもやっと子供らも分ってきた。だから南歩の親しい友達には、「家の方に行くとタダだから、あっち行っておいで!!」とこっそり言うようにしている。
さて今度は、使い過ぎという境目問題がある。家によって金銭感覚は千差万別 である。お金をもってこないで『なんかくれ!!なんかくれ!! 』と騒ぐやつ。お腹が減って友達に『金貸してくれーー』とねだるやつ。万札を両替えするやつ。とりあえず五百円玉 を入れちゃって、あとで計算しながら、買うやつ(計算は大丈夫か???)。
ある日、男子と女子がたくさんやってきた。なぜか男子は「消しゴムあてクジ」にはまって、欲しいものが当たるまで、止まらなくなった。消しゴムはビックリするほどユニークなものがあるが、ある程度男子向きと女子向きの物がある。女子向きのが当たると、たまたまそばにいた女子にどんどんあげてしまい、欲しいものが当たるまで続けるのだ。さていくら使っただろう。男と女の縮図である。男って馬鹿ね!!
ちなみにうちの駄菓子屋システムは、自分で計算して自分でレゴの貯金箱にお金を入れることになっている。ある仕掛けがあるからおもしろがってくれるだろうと命をかけて作ったものだ。(これに慣れるのに子供らは時間がかかった)。でも小さい子にはちゃんと大きい子が指導している。
○駄 菓子屋と大人 ○中学生とワンバーナー (いつか書けると思う) ○常連さま 未 ○私の夢 書けない事もたくさんあるのです
2009年11月
子供達がやってきた。
最近、うちの川で6年生のナオキがニジマスを4匹も釣ったので、6年生がよく川で遊びにやってくる。でもニジマスが釣れるのは、お盆のころに行なわれる『魚のつかみ取り大会』から逃げおおせたやつだけで、ほとんどが小さいハヤなので、「面 白みが無い」と言っては、長坂の池にブラックバスを釣りに行くらしい。
今日もやってきて、とりあえずビールの変わりに、とりあえず駄菓子で腹ごしらえをする。外での遊びもいろいろあるが飽きてくると帰ろうと言い出すのでとても寂しいが、今日はなぜか嬌声が続いていた。先週までは、焚き火が丁度楽しいくらいの寒さだったが、今日は記録的な寒さと強風吹きすさんでいた。
私もフラメンコのステージが終って疲れて帰ってきたばかり。
靴も靴下も上着も頭までドロドロの6年生が焚き火にあたっていた。『バカ脱ぎなさい!!濡れたものを身に付けていると体温奪われるよ 』というとあわてて、脱ぎ出した。
(この二ヶ月後の出来事 なんて誰も想像できないくらい歓びに溢れていたんだ!)
『洞くつを発見したんだ。子供じゃなきゃ入れない!!凄いんだよ。ずっと続いてる』「こんなに汚れたの久しぶり???」
どろどろぐあいはとても店には入れられないが、ズボンと靴下、上着を脱がせ、下はパンツだけの姿にして店に入れる。
パンツ姿の6年生4人がうろつく喫茶店だ。午後3時どうせ誰も来ないだろう。でもクッションで前を隠す微妙な年ごろである。きゃあきゃあ言いながら、暖まる。
午後5時、『誰か来た!!!』やってきたのは知った顔の中学生4人。良かった。今日の客はそこまでで終ったけど。長靴をかりて中まで濡らしてしまったため、斉藤にしこたま起こられた。すいません。
○月○日
龍生という宝を失ったのを知ったのは沖縄のゲストハウスだった!! (未)書けない
○月○日
再びの大学生
○月○日
○13回目のベーゴマ大会には、大学生が参加した!!そのとき事件が! 先日の甲府のアウトドアショップのトークショーに来てくれた大学生が自転車に乗ってやってきた。道から大きな声が聞こえてきたから、きっと店にやってきたに違いないと思ったら、案の定角をまがってやってきた。今日は2010新年おしるこの会を外でやっているところ。 (未)
○月○日
手作りの苦手な男子は、ザリガニとポノ。子供もポノもお互いに大好きな様です。いつも一緒にいる気がする 。 つめたい!!こんな夏いいですねいつも取り囲んでいる猫と子
2010年
夏のTEAM SHERPAの風景
初めて手作り教室をやってみました。日頃お世話になっている仲間たちがけっこう手作り派で、何となく暇なときにノリでお客さんとフェルトなどを作っていたら、夏休みにやってもいいかもというノリだったので、無理のない感じでやってみました。日頃おはなし屋でお世話になっている西小の校長先生と話をしているとき、有料なので学校としては配りはしないが、チラシを学校においておく分には問題ないと言うので100枚くらいカラー紙でチラシを作りました。近所へのサービスのつもりですから、少し子供が来ればいいかなというくらい。場所代もなければ、お礼もないけど講師は近所のお姉さんたち、フェルトはマリ先生。ロウソクはリコ先生。看板づくりはハナ先生。面 倒だからすべて300円。
大人も加わって毎回十人以上の方がわいわいやって、楽しい作品を抱えて帰っていきました。子供の発想の自由さに改めて驚かされます。こういうことは私の方が始めてだったので、講師の皆さんに任せておけば安心でした。夏休みの工作にそのいくつかが出品されるでしょう。看板づくり(自分の部屋の看板が多かった),ロウソクづくり,フェルトづくり
2009年9月末
●2011年3月東関東大震災を経て
いろいろな子が来ます。学校に行かない子達もいるし、少し不安定な子もいる。でも子供達や私たちがすごーくこだわっていた大問題が、吹っ飛んでしまうような問題外なスケールのことが起きました。
テレビ画面に釘付けになり、想像を絶する状況に私たちの日常のこだわりを霧のように吹き消してしまいました。
まるで店を開く気は起きなかったのですが、外に出ると、どこからか草刈りの音。ちゃんと日常はやって来ていました。誰も来なくても開いておこう。そしてだんだんと子供達が動き出しました。春の気配はあっても、雪が舞ったりするし、魚はまだエサに食い付かない。暇なのをいい事に毎日焚き火をして、子供達とご飯を炊いたり、焼き鳥をしたり、きりたんぽを作ってみたりと遊んでみました。
3月はお別れの季節です。ここで泣いたり笑ったり、喜んだり怒ったり。いろんな事ができるように育った子供達もそれぞれの道に旅立ちます。合格したり、浪人したり。遠くへ行ってしまいます。私は泣きます。
避難所の子達にも、こんな時間を届けたい。今だけにしか生きていない子供達に、駄菓子や駄おもちゃで一瞬の笑顔になってほしいと思います。(斉藤に託そうと思ってます)
今日は、1年4ヶ月前に池で友人を亡くした仲間が集まり、野球のような創作ゲームをしてはしゃいでいました。あの悪夢のような卒業式から一年、彼らの人生にも一つのピリオドがうたれたのかもしれません。
今年のキセキ
震災を機に、ベーゴマをやる子が全くいなくなりました。大会の日もメンバーが集まらずに流れてしまいました。また来るまで気を長く待ちます。
2011年
夏の手作り教室は男の子がメイン
竹の水鉄砲とパチンコ作りです。講師は達也先生。まずは靴を脱ぎます。甲川を渡って、対岸の竹の伐採から始まるからです。2本の竹を切りだし、みんなでTEAM SHERPAに運びます。枝をはらうと、自分の筒の部分を考えて切り出します。節にキリで穴をあけよう。押し出す用の竹は駐車場周りから切り出します。細竹に輪ゴムを巻きその上にスポンジを糸でくくりつける。
筒に入れてみましょう。きつかったり、緩かったり、スポンジが抜けたりと大騒ぎですが、何とかなりました。川で遊ぼうと思ったら、駄菓子に夢中で戦う気はない。!!!もう!!
パチンコは、私が暇なときは面倒見てあげます。こっちも、自分でY字の木を切って来て、磨いて、溝を作り、ゴムを自転車のチューブで巻き、石当ての皮もつけて、出来上がり。5M先の缶に当てたら20円の駄菓子券がもらえると言うと、頑張ってやります。これはけっこう大人も面白いです。川に向かって、気をつけてやりましょう。
みんな元気になってます。
2012年7月
久々のベーゴマ大会。たまたまメンバーが揃ってベーゴマを始める。
2012年5月
竪穴式住居ができてから5年生チームが縄文キャンプをやろうという事になった。縄文研究もしようという事で、まずは筏作り、野菜作り、衣服作り、釣り針作り、もちろん火起こしも課題はたくさんあるけど、夏休みの縄文キャンプまではまだまだ時間がある。
2012年7月
久々のベーゴマ大会。
たまたまメンバーが揃ってベーゴマを始める。外の台で本格的にやるとやっぱり楽しい。この楽しさを小さい子らに教えなければならない。面倒だけど、すこしづつやっていこう。っと。
2012年7月
●2012年7月久々のベーゴマ大会。
たまたまメンバーが揃ってベーゴマを始める。外の台で本格的にやるとやっぱり楽しい。この楽しさを小さい子らに教えなければならない。面倒だけど、すこしづつやっていこう。っと。
2012年7月27日
手作り教室。今年の手作り教室は機織りとパチンコ作り。
あまりに暑いので、お客さんと川に逃げ込むことにしました。ハンモックと椅子をもって川に設置。お客さんはみんな川にご案内し、子供達も川に入るようになってきました。どんだけ濡れても問題ない季節だけど、靴がぬれ、パンツが濡れると車にも乗れないので、サンダル、水着をもってくるようになってきました。子供たちが来なくなれば駄菓子屋をやめようとは思っていたが、なかなかそうはいかない感じ。
中3、中1、小6の男の子4人がのこぎりとハサミを借りに来て、筏作りを始めたようだ。用意周到、麻縄を買って来ている。川向こうから長い竹を切って来た。同じ長さに切った数本を結んで筏の形にした。竹でパドルも作っている。それでは浮力が足りないだろうと示唆したが、やはり一番軽い小6でも沈んでいった。ペットボトルという手もあるが、また竹を切り出し増やしていく。自然素材にこだわる当たりは頼もしい。7時近くまでずぶぬれになって遊び、他の子には秘密だと良い残し、筏を隠して帰っていった。次はどのような工夫をするのか楽しみだ。いい夏休みだ。
2012年7月30日
縄文キャンプ
竪穴式住居イオをつくってってから、夏休みを目標に企画をあたためていたいた子供達の縄文キャンプ。打製石器、釣り針、土器、衣服を作ろう、食べ物は何にしよう。資料を探し、博物館に行き、まじめにやっていた。親とも相談して、野菜は自分で作ったもの、米は学校で作っているが間に合わないので代理米(弥生か?)、火起こし機は数年前に南歩が作っている。糸を紡ぎ機織りも始めた。いろいろやりたい事はあるが時間が飛ぶようにすぎ、メンバーも二転三転し、打ち合わせは遊んでしまって進まず、顧問役の新田くんは、「こりゃあーカレーだな」とあきらめムードだった。どこまで縄文的なのか?ただのキャンプなのか。まあどうなっても意義あるに違いない。私は傍観と決め込んだ。
10時に集まってきたが,お昼に何を食べるのかは決まっていないようだ。さっそく、皿や包丁をかして!と言ってくる。皿は竹で作ればいいじゃんと言うと、新田君と竹を切って、鍋、皿、はし、お玉を作り出した。
米を炊くのも時間がかかりそうなので、スイカでお昼。火起こしは後にして、ライターで焚き火をおこし、米を炊こう。カレーを作ろう。ようやくカレーとご飯ができたのは午後5時。おなかがすいて、おいしいに違いない。
2012年8月6〜7日
川で釣れるのは小さいハヤばかりなので買って来たお魚を焼いて食べていた。五右衛門風呂を湧かすのも新田君だより。やれ熱いの、恥ずかしいのと大騒ぎ。そして、夜は更けぬ間に8時にはコテンと眠る子も。斉藤が写真を撮りにいって、霊が写ったと言っては怖がらせ、新田君の怖い話に耳を傾けながら爆睡。寝相の悪い子供達が心配で寝られない新田君の夜は静かに更けていきました。いつ起きたのか分からないが、ご飯が炊けるまでトマトをかじったり、トウモロコシを焼いて食べたり、ご飯を焚くのを見ていないで、釣りを始めてしまうし、散漫な子供達のテンションはまだ高い。そこへ風間深志さんとライター中井さんが到着。ご飯とカレーを竹の器で食べているところ。写真を撮られ、インタビューを受けていた。『何がつらかった?』『ずっとここで暮らすのはどう?』『何が楽しかった?』縄文を理解したのか、何を研究したのかよくわかりませんが,「帰りたい」と言っていたのは、家のありがたみを実感したからではないでしょうか?焚き火で食事を作るのは大変ですから。傍観の感想だけなので、いろんなシーンで子供たちが何を感じていたのか、おいおい聞いてみましょう。せっかくですから今後も研究は続けましょう。自分のテーマを決めて。今度はお母さん会、そしてお父さん会。イオを舞台に大人も遊びましょう。
2014年2015年3月
卒業お泊まり会。卒業なんだから何かちゃんとやってほしいのだけど。食事を作る、焚き火をする、五右衛門風呂に入る、など力量に応じて課題を出したいけど、基本的に開放感いっぱいでそれどころではない感じです。
たいして寝ないで話ばかりしている感じです。しかし今年はしっかり者の女子がいたおかげで、鍋でご飯を炊き、カレーを作り、片付けもちゃんとして寝ましたね。思い出に残ったでしょうか?
2015年8月9〜10日
「アサトとケンの冒険」
いよいよです。
3ヶ月前だったか?ずいぶん前から彼らの計画は決まっていた。焚き火の練習。ご飯炊きの練習。テント張りの練習。デザート作りの練習。料理の本を鞄に一杯借りて来て、3日間のメニューを詳細に考える。
そして前日8日には、荷物の一部を持ってやって来た。自転車では一度に運べないのだ。9日には予定表、メニュー表、お小遣い帳を引っさげて、また荷物を満載した自転車に乗って朝9時にやって来た。さて、長い3日間をどうやって過ごすのか?いつも遊んでいるのに飽きないのか?まずは買い出しのようだ。暑い中自転車で坂を上ってゆく。私はそのまま甲府へ息子のコンクールを聞きに行って、よくわからないが。
かえってしばらくすると、ちょうど丸顔のきのこ頭の見知った青年が店に顔を出す。彼はとっても子供扱いが上手いのはわかっている。塾の先生だから。いい時に来たね。丁度泊まってくれるらしい。それより、昨日のビアガーデンに来たひろこさんも、子供達が来て俄然楽しくなって来たらしい。そして五右衛門風呂、イオにも興味を持ち、イオに泊まってゆくことになる。さらにお留守番の母娘も子供達のことが気になって仕方ない。
結局持ち寄りで8人のバーベキューになった。あさとは、みんなが参加してくれるのがうれしくて、人数分のテーブルセッティングをはじめる。店の高い皿を使って。みんなで火をおこし、ステーキ、焼き鳥、おにぎり、サラダ、エビのバジルパスタ。豪華絢爛のご飯になった。旅人小屋での宿泊も寂しくなったのか、青年に一緒に寝てもらっていた。さらに次の日のテント泊も是非一緒に泊まろうと口説き、隣にテントを張ってもらっていた。夜はナイトハイク。花火で大騒ぎ。結局みんなが帰った最終日もお昼過ぎまでのメニューをこなし、しっかり片付け、大荷物を前に困っていたので家まで送って行った。
彼らは何を求めていたのか?何を取得して行ったのか。
全部準備をして、すべてにリーダーシップを示すアサトと、いやいやそうにつきあっていたケンは、けんか腰だったこともあったが、超仲がいいのだった。超ウマが合うのだった。一生の思い出になるといい。
宿題にした作文はでてくるのか?記念のプレゼントは『行き当たりばっ旅』
いつか読んでほしい。そして思い出してほしい今回の冒険。