SHIRO_PAST 01
シェルパ斉藤 プロフィール
本名・斉藤政喜(さいとうまさき)
1961年3月生まれ。紀行作家&バックパッカー。
学生時代に揚子江を単独で下ったことがきっかけで、フリーランスのライターとなる。就職経験なし。
1990年にロングトレイルの先駆けである東海自然歩道を踏破する紀行文を雑誌『BE-PAL』に連載。ネパール帰りであり、読者を歩く旅にいざなうことから、山岳ガイドの代名詞である『シェルパ』のペンネームを編集者につけられる。
以降『BE-PAL』RETRIEVER』『PEAKS』『夢の丸太小屋に暮らす』『フィールドライフ』などアウトドア雑誌を中心に紀行エッセイを長期連載中。95年に八ヶ岳山麓に移住し、自らの手で家をつくり、火を中心とした自己完結型の田舎暮らしを楽しむ。
トレイルの名がつく日本のルートをもっとも多く歩いているバックパッカーであり、年に1度のペースで海外のロングトレイルも旅している。日本ロングトレイル協議会のアドバイザーも努めており、講演やラジオ、テレビ出演などでロングトレイルを旅する魅力を伝え続けている。
犬連れバックパッカーの元祖にして、第一人者。バックパッキング以外にも、自転車、オートバイ、ヒッチハイク、耕うん機による日本縦縦など、自由奔放な旅を30年以上継続しており、テント泊数は通算千回を超える。
『犬連れバックパッカー』『シェルパ斉藤の行きあたりばっ旅』『東方見便録』『耕うん機オンザロード』『島旅はいつも自転車で』『シェルパ斉藤の厳選トレイルガイド』『シェルパ斉藤の世界10大トレイル紀行』『シェルパ斉藤の元祖ワンバーナークッキング』など著作は30冊を数える。
シェルパ斉藤 ヒストリー
以下、連載は赤字、 単行本か文庫本は青字、 テレビ・ラジオなどは緑色で示しています。
1961年〜1977年
1961年長野県に生まれる。男3人兄弟の次男。高校卒業までは田舎の坊ちゃんとし て平凡に暮らしていたが、卒業を控えた冬に父が事業に失敗し、一家離散となり上京する。以来、親から援助がない自立した人生を過ごす。
1979年
新宿で新聞少年として働き、予備校に通 うものの受験に失敗し、翌年はジーンズシ ョップで働きつつ再度受験。夜間の社会福祉学部に20歳で入学する。
学生時代はアルバイトと旅の日々。もらった奨学金でオートバイを買い、日本全国 を野宿しながら旅する。生活費と授業料と旅の資金を稼ぐために学生時代は31職種 のアルバイトを経験。
1984年
大学を1年間休学しオートバイでオーストラリアを走破する旅に出る。ところが最北端のケープヨークで交通 事故を起こし、右足骨折。北の島で3ヵ月間の 入院生活を送る。リハビリ生活を経て再びオートバイで旅し、8か月後に帰国。
1985年
骨折した右足を鍛えるために自転車で日本縦断。北海道から沖縄まで20日 間で走破。
1986年
大学卒業が迫るも自分が何をすればいいかわからず、その答えをみつける ためにゴムボートで中国の長江を下る。全800km,40日間の漂流旅。 その長江の旅を記事にしてもらえることがきっかけで小学館のビーパル編集部に声 をかけられ、大学卒業してすぐにフリーランスのライターになる。 ところがほとんど食えず、アシスタントの毎日、数カ月経って仕事をもらえるよう になるものの、MTBでパキスタンに旅立つ。その後インド、ネパールと走り、旅 の終点を世界最高峰エベレストのベースキャンプと決めるが、肝炎にかかり、旅を 中断。カトマンズで療養し、MTBを現地に預けたまま3ヵ月後に帰国。 ライターの日々を過ごすものの、翌年に再びネパールに渡り、MTBでエベレスト 街道走破。赤道を越えるためインドネシアのスマトラを縦断し、3ヵ月後に帰国。 ビーパルが東海自然歩道を踏破する企画を立て、そのライターに抜擢される。ペン ネームはネパール帰りだし、荷物を背負って歩く旅人だから『シェルパ斉藤』とつけられる。
1989年
89年〜91年東海自然歩道1343kmを踏破。ビーパルに紀行文として「東海自然歩道全踏破」を連載し、のちに 処女作『213万歩の旅』を小学館より出版。
1991年
11月、結婚。と同時にビーパルで「行きあたりばっ旅」連載開始。国内外で日本 野宿しながら奇想天外の旅を長きにわたって繰り返す。 のちに単行本『シェルパ斉 藤の行きあたりばっ旅』、『今夜も空の下』及び、小学館文庫として『シェルパ斉 藤の行きあたりばっ旅1〜5』を出版。 このころから歩く旅人=バックパッカーとして認知されるようになり、『シェルパ斉藤のバックパッキング術』を出版。
1992年
7月長男産まれる。このころからラジオ番組の出演が増える。TBSラジオ『RVクルージング』に3年半、レギュラー出演、ほかにFMヨコハマでは10時間番組のDJもつとめる。ただし、テレビ番組は嫌いで出演の話が来てもすべて断わる。
1995年
夏、東京を離れて自分たちで家をつくるために八ヶ岳南麓に移住。8カ月間か けてアメリカから輸入したキットのログハウスをつくる。家づくりの顛末は「夢の 丸太小屋に暮らす」と「ビーパル」に連載。のちに地球丸から『野宿の達人、家を つくる』を出版。
12月一歩が3才の時のクリスマスプレゼントとして、大阪から旅をしながらやってきた。のちに『犬連れバックパッカー』としてまとめられる数々の旅をともにし、ニホは旅犬として成長していく。
1996年
夏、排泄文化からアジアを斬る異色のルポを「週刊ヤングサンデー」で連載開 始。アジア各国を取材して回る。連載終了後、『東方見便録』として小学館より単 行本出版。マスコミ各誌で取り上げられ、アジアのトイレ評論家とも呼れる。95年冬より、ゴールデン・レトリーバーの「ニホ」と暮らすようになり、日本全国をバ ックパッキングのスタイルで旅して回る。
1998年
のちの98年に小学館より『犬連れバックパッカ ー』を出版。1月次男産まれる。そしてその春、六本木のある女性から黒のラブラドールレトリーバー「サンポ」をもらい受け、2頭の犬と暮らしはじめる。
98年夏、近所の家から耕うん機をもらったことから耕うん機による日本縦断を思い 立ち、この内容を、ビーパルに「行きあたりばっ旅」として連載を続ける。
12月、山と渓谷社の「アウトドア」で「モノ見遊山研究所」という連載開始。送られてくる様々なアウトドアグッズをインプレッションした。
2001年12月の休刊まで3年間継続。
1999年
9月大の猫嫌いだったが、ネズミ退治のため妻の説得でグレイの上品な猫ジッポと暮らし始める。猫アレルギーと発覚するも、次第に克服し、大の仲良しになる。でも人間より犬の方が好きな様。
2000年
2月レトリーバーの専門誌「レトリーバー」で「シェルパ斉藤&ニホ、サンポ、バックパッカー流日本津々浦々」という連載が始まる。犬連れキャンプの講師の要請も増える。
2000年CS放送の企画で、「私とアウトドア犬」という30分番組を作成。今もCSのどこかのチャンネルで流れているらしい。
7月「ビーケーワン」というインターネットブックショッピングのサイトで「紙面 に書けなかった旅のこぼれ話」の連載が始まる。インターネットメディアの特性を生かし、誌上でできない旅の裏話をほぼ月刊で掲載。
2001年
耕うん機の旅の前半をまとめた『耕うん機オンザロード』と『シェルパ斉藤無責任編集日本縦断オフィシャルガイド-愛を耕す東日本編』を出版。同時に本州最南端の佐多岬を、歩く旅人に開放することを目的とした『日本縦断連盟』を旗揚げし、会長就任。日本縦断中に、佐多町長などの地元の方々の協力を得て、最南端トレイルを位 置づけ、事実上佐多岬が歩く旅人に解放される至った。
11月小学館の「DIME」にて連載開始。週末ニッポン贅沢放浪案内「スローな旅で行こう」という連載開始。
テレビ嫌いだが、企画が面白いので「タモリ倶楽部」に出演。岡山にあった耕うん機を陸送し、タモリさん、松尾貴史さんとともに、東京の下町を耕うん機でツーリング。
2002年
有人最南端の島、波照間島にて4年半に及ぶ耕うん機の日本縦断を終え、耕うん機は、島のある人に寄贈して帰る。個人的に世界7大トレイルを歩く旅を思いつき、ネパールを歩いたが、それが、ビーパルの「シェルパ斉藤の世界7大トレイルはしご旅」として連載が始まる。
黒のラブラドールレトリバーのサンポがお見合いをし、12月18日に7頭を出産。
2003年
犬の子の育児に新境地を見いだす。ブラック3頭、イエロー4頭が成長し、イエローのトッポを除いて、3月に里子に出す。犬が3頭に増え、ますますにぎやかな生活スタイル、旅スタイルとなる。
生まれて初めて、自分自身で自分のフルオーダーの自転車(ロードレーサー)を買い、夢中になる。
9月 シェルパ斉藤のスロートラベルバイブル耕うん機オンザロードの完結編『時速8キロのニッポン縦断』を出版。
7月より季刊誌BICYCLENAVI(二玄社)にて「だから旅の相棒は自転車で」の連載開始。
2004年
ビーパルで新連載「シェルパ斉藤の旅の自由型」始まる。行き当たりばっ旅と同様に、気の赴くままのまさしく自由旅である。
4月エイ出版のFREE MAGAZINE フィールドライフにて『シェルパ斉藤のニッポンの山をバックパッキング』の連載を開始する。
4月エイ文庫 から『シェルパ斉藤のワンバーナー簡単クッキング』を出版。
7月新潮文庫から『犬連れバックパッカー』を出版。
7月エイ文庫から『ライフウィズドッグス』を出版。20册目
8月エイ出版 の「東京生活」で「シェルパ斉藤東京見便録」の連載が始まる。
9月24日、長年連れ立って旅をしてきたゴールデンレトリーバーのニホが突然病死する。
10月小学館より『スローな旅で行こう』を出版。
2005年
7月に新潮社より『シェルパ斉藤の犬と旅に出よう』を出版。
9月より地球丸の「夢の丸太小屋に暮らす」にて『シェルパ斉藤田舎暮らし 春夏秋冬』の連載を開始する。
妻の要望で店作りを始める。車庫を改造して徐々にカベをつけ、デッキをつくり、11月にカフェ・雑貨の店『TEAM SHERPA』を開店した。
2006年
4月より二玄社の「BICYCLE NAVI」にて『自転車で出会う楽園の島』の連載を開始する。
2007年
3月にエイ出版より『シェルパ斉藤のニッポンの山をバックパッキング』を出版。
TEAM SHERPAでゲストを迎えてトークショーを始める。
2008年
7月お散歩コースに落ちていた激やせ猫を、妻が勝手に拾って来てしまった。人間、犬、猫全部好きで、だれにでもなつき、何より犬の散歩に毎日ついてくるところがかわいくてかわいくて仕方ない。
2009年
3月に文藝春秋社より『東京見便録』を出版。
8月に小学館より『シェルパ斉藤のリッター60kmで行く!日本全国スーパーカブの旅』を出版。
2010年
3月に二玄社より『7シェルパ斉藤の島旅はいつも自転車で』を出版。
5月よりエイ出版の『PEAKS』にて「シェルパ斉藤の山小屋24時間滞在記 sherpa in yamagoya 24H」の連載が始まる。「東京見便録」台湾版 が出版される。定価NT$260 HK$87 合譯 林佩儀 阿夜だそうです。
2011年
未
2012年
未